連載 No.4 2015年5月17日掲載

 

受胎したイメージを長い間育てる


アーティストと言われる写真家でも、そのスタイルはさまざまで、

撮影だけが自分の仕事と考えている人もいれば、

長い時間をかけてプリントが仕上がるまでのすべての工程を自分でこなす人もいる。

そして、それだけが理由ではないが、制作期間も違い、毎年たくさんの新作を発表する人もいるし、

数年かかってやっと一枚、シリーズが完成すまでには何十年、なんていう人もいる。



写真を仕上げるのにどうして時間がかかるのか?

現在のデジタルカメラなら、撮影すればその場で仕上げられるし、古典的なフィルムカメラでも、

フィルムの現像、焼付けと言う物理的な工程だけを考えれば、数日もあれば仕上がるはずだ。



私の場合も、とにかく時間がかかる。

最も感じる事は、「フィルムに写っているもの」と「自分の感じたもの」その間の大きな隔たりだ。

デジタルでも、フィルムでも、機械的に記録される情報と、

自分自身が知覚し、記憶している情報の優先順位は一致しない。

そのギャップを修正し、自分の視覚と一致させなければならない。



その為に、とても長い時間を暗室で過ごす。

デッサンを繰り返すように何度も印画紙に焼き付けて、記憶の中のイメージを探していく。

数日で仕上がるときもあるが、何度も繰り返し、気がつくと数年が過ぎている。

10年、20年前に撮影し、ずっと暖めていたイメージ。

結局仕上がらないものもあるが、うまく仕上がれば、長い年月が報われた気がする。



写真家は、男性的な人が多く(昔の話かもしれないが)

撮影(capture, take)を「shot」や「shoot」 などと、写体を獲物のように表現する人が多い。

何かを切り取ってくると言う感覚は無いわけではないが、

風景を撮影しているともっと受動的なものを感じる。

レンズを通して受け入れられる光は、さながら一粒の精子や種子のようで、

自分は受胎したイメージを長い間、身体の中で育てている。

産み落とすまでに、長い時間がかかることもあるし、意外とすんなり...と言う場合もある。

いずれにしても、授かって、育てると言うのが、自分の芸術感覚だ。



この写真は廃墟の中の剥がれたベニヤ板。日没前の暗がりで、露光時間は4分。

私の撮影では長いほうではないが、静かに待っていたその4分を何度も思い出す。

強い印象を心に焼き付け、これはすぐに仕上がった。